アンゴル=モアでSTABO索具

追記

2016.05.05

+ 渡辺匠インタビュー

連休中、福島に帰っている間に、FUFC PRESSという福島ユナイテッドの広報誌っぽいのを眺めていたら、渡辺匠のインタビューが載っていたので、一部引いておく。

──これだけ長くプロを続けた末の地元への帰還は感慨深いものですか。

「いつ終わってもおかしくなかったのですが、何だかんだでプロ17年目に入りました。節目の10年を終えた時に少し(引退を)考えたこともありましたが、いつ終わってもおかしくないと思いながら続けてきました」

──今回も続行を決めた理由は何ですか。

「横浜FCでの自分の役割は終わりに近づいているのかな、と昨年の夏頃には思っていました。引退という選択肢もあったのですが、実は1年前に竹鼻(快ゼネラルマネジャー=GM)さんに会って、福島ユナイテッドの状況を聞いていました。本当は去年加入しようと思ったのですが、ちょうど妻が3月に出産を控えていました。初産で1、2月にもキャンプで離れるとなると負担が大きすぎるため、当時は断念しました。その時に、また次に誘ってもらったら、ぜひ行きたいと伝えていました。昨年に戦力外となった時、横浜FCのGMにもトライアウトは受けないし、もう十分やったと思うと話しました。ただ、取ってもらえるなら福島でやりたいと伝えていました。11月の末に竹鼻GMと電話で話して、会ったその日に『行きます』と返事をしました」

──即決した理由は何ですか。

「もちろん地元ということがあります。震災もありましたし、昔は地元にJリーグクラブができるとは、なかなか想像できませんでした。それがJ3入りで現実になり、いつかは福島でやりたいと思っていました。これまで在籍したいろいろなクラブで、その県の出身者の存在の大きさや必要性を感じていたんでしょうね。漠然とですが、自分に何かできるのかと考えていました。でも、2つ年下の茂木ちゃん(茂木弘人)が帰ってきた時には驚きましたけどね。順番的にオレが先だろ、と思って。しかもJ1のクラブから来ていたので、これでオレは帰れなくなったぞ、と思いましたよ(笑)」

→FUFC PRESS 2016.Vol.6 地元だから「帰れた」のではない。帰還を裏付けるプロの矜持が、ある

Tags: 横浜FC

2016.04.23

+ 記録

魚らんお寺巡りスタンプラリーで、息子と高輪見物。単に寺を回ってスタンプを押すだけのシンプルでゆるいイベントである。それが気に入って参加しているわりに、終了間際に行くものだから一人タイムアタックになる。前回から子連れになって余裕を持って回るようになったのだが、今日は寺ごとに息子をリリースしたものだから、無駄にゆったりしてしまった。

散歩によいのだが、桜田通りはもちろん、伊皿子坂、魚籃坂もわりと交通量が多い。寺巡りの余韻を残すには、おすすめされているのとは逆のルート、立行寺や覚林寺の方から回ったほうがよいと思っている。


2016.04.07

+ 無題

また待機児童問題の件だが、腹立たしい理由が判ったような気がする。

児童福祉法第二十四条において、市町村は保育に欠ける児童を保育所において保育しなければならない、といった記述がある(そして、需要の増大などでやむを得ない場合はその他の適切な保護をおこなわなければならない、と続く)。とにかく国が税金を投入して保育所を整備しろ、という主張はこれを根拠にしているのだろう。一方で、需要をコントロールしようという諸々のアイデアはすべて「保育に欠ける」状態をコントロールしようということに等しいだろう。ここではコントロールの方の話は措いておく。

ふと思い出したのは日本国では憲法で「勤労の義務」が謳われているということだ。労働力を有する国民はみな働くべきであるということ、これは「保育に欠ける」状態を生み出す可能性があるのだから、理論上、いまだと一年に百万人程度生まれてくるすべての子供が収容できる数の保育所が必要になる。極端ではあるが、理屈ではそうなる。それって何の旧ソ連?って感じだが、まさに国家の子供になるのだろう。憲法における勤労の義務は、社会主義的発想の産物と言われているが、それが児童福祉法と結びつくと非常にグロテスクな光景になる。

安倍政権の一億総活躍が戦時の総動員体制からの着想であるとは到底思えないのだが、保育園落ちた日本死ねに始まる「税金で保育園作れ」の大合唱を引き起こしたということは、結局、皆で全体主義に突き進んでいるのではないかとの疑いが拭えない。本当なら、生活は苦しくなるけど働かないという選択肢だって称揚されていいはずだ。勤労の権利なのだから、好きなときに働くさ、といった選択が。

自分で、輝く自分を選択しているつもりで、実は裏腹の仕組みにハメられているかもしれないということ。保育園問題を眺めていて、時折よぎる不愉快さは、たぶんこのためだったのだろう。


2016.04.06

+ 無題

そういえば目黒川に花見に行っていたが、昨年はただ寝ていた息子もちょっと歩いたりして、散歩にはちょうどよかった。目黒川は中目黒近辺を外せば、歩くにはいいんだよな。

見てくれで勝負できる器とも思えないので、息子には「愛想よくしろ、男は愛嬌、男は愛嬌」と念仏のごとく唱えていたら、いまのところ人見知りせず見知らぬ人にもニコニコと接する子になってくれて、たいへんにうれしい。のだが、実際にその様子を眺めていると、薄らバ……いや、微笑みデ……


2016.04.05

+ 無題

微妙に話題が続いてしまって自分でも腹立たしくなってきた待機児童問題のつづき。興味深いのを二つ見かけたので。

えらいシャープにまとめてあって、ああ、こういう頭の良い人になりたいですね。

今の保育園の問題は、「日本の競争力強化の阻害要因」の問題であって「弱者救済の福祉の不備」の問題ではない。 - 蕎麦屋

もう一つは、国と私しかない、答えだけがほしい人にはまったく届かないであろう、お疲れさまエントリである。

実際、保育園に落ちたらどうするか?: 極東ブログ

こうした地域コミュニティの善意による保育の解決は結局のところ、善意であればあるほど、結果的に制度不備の尻拭いになり、本質的な市民社会としての、保育の活動にならない。

「保育園落ちたのは私だ」として国会前でデモするのもよいのだが、比較すれば継続的に地方自治体に働きかけるほうが重要になるのはその理由からだ。

そして、残念ながらというか、保育はビジネスでもあるのでその利害調停のような作業も必要になる。コンビニや歯医者のように市場原理だけに任せるわけにもいかない。大きなマンションが地域に建つと予想されるだけで変わる。本当に市民生活に必要な地域政治の調停をどう行うのかというのは、保育でも難しい。

まとめると、保育園に落ちたら、地域の実情を探り、その過程で各方面に助けを求める声をあげよう。そのなかで保育を助け合う仲間ができたら、そこを足場に地域行政に改善を求めよう、ということ、ではないだろうか。

子供によって、地域社会、基礎自治体の意味と価値をあらためて考えさせられているけれど、それとは別に、不愉快さみたいなのも心の底にある。子育てとかプライベートの最たるもの、個の誇り、喜びなのに、社会保障をどこかで当てにしていることに。ぶっちゃけた話をすると、たとえば保育園に入れるために子供を仕込む時期を調整するなんてバカバカしいとは思わんか。俺は国の経済のために生きているわけではないし、他人にちやほやされたいわけでもない。他人に見せびらかすためのキャリアなんてクソだ。人間の動物的側面が非常にバカにされているような、あるいは自立というものを汚されているような、保育園を巡る論調にはなにか小賢しさが感じられて苛立ちがある。

前に書いた社会人としての務め、という部分に変わりはないが、この腹立たしさは忘れないように書いておく。