アンゴル=モアエロ画像STABO索具

«前の日記(2005.04.09) 最新 次の日記(2005.04.11)»

2005.04.10

+ 保阪正康『戦後政治家暴言録』

社会的認知度の高い言論、現実に影響力をもつマスメディアが依拠している言論をオモテの言論とし、その枠に抵触する言論をウラとする。ウラに属する言論が暴言として扱われるとして、以降、実例を挙げていくのだが、もっとも目を引いたのは実例ではなく次のところだった。

オモテの言論は、しばしばこういった言論の暴力性をかかえこんでいる。その暴力性を常に警戒しながらオモテの言論の側に立つには、強い克己心を必要とするのである。つまり政治家の暴言や失言を批判するときは、あるいはその発言が暴言や失言を意味していると謗るときは、相応の冷静さが必要だということになるのだ。

[保阪正康『戦後政治家暴言録』より引用]

これは政治、歴史にかぎった話ではなく、正当と認識した側が常に心がけるべきことなんだよな。さすがに「フレーム防止策」にまで落とすつもりはないけど、それでも生きているかぎり罠にはまる可能性はあるわけで、実際罠を見ちゃったりしている以上、自戒すべきことだ。もっとも卑近な例で言うなら、三ツ沢のようなエンターテインメントの地にすら罠があった。

以上は本論とは無関係な話。政治家の暴言・失言のなかで、言論であることを放棄しているような近年の政治家の物言いは論外として、ナショナリズムに関わる発言に粗雑なものが目立ち、結果、ナショナリズムに属する発言はすべて暴論として扱われそうなのが苦しい。

Tags: 書籍

+ リベラルに分類されるのも迷惑な話で

先日、日本版ポリティカルコンパスの結果を書いたが、ナショナリズムのことをぼんやり考えていたら、リバタリアンとの分類がどうにも気になってしょうがない。自由主義を尊重しているのは確かだが、たとえば最近目にした自己言及である、切込隊長の「バーク主義・保守主義」や30歳女性会社員氏の「リベラル」(アメリカにおけるリベラルの意味で受け取った方がよさそう)と比較してどうか。いずれも本論とは関係のないところで目にしたことで印象に残った面もあるため推測でしかないが、彼らのような確信をたぶん俺は持っていない。そもそもリベラルの反対が保守になっている日本版ポリティカルコンパスは妥当なのか。リベラルの反対は全体主義ではないのか。日本においては保守≒全体主義ということか? ならば日本で保守主義を追求することは険しい道ではないか。

ナショナリズムは存在するレイヤーが異なると思っているので、自由主義、個人主義を成立させることとナショナリズムは必ずしも相反しないというところに行き着く。しかし保守主義と全体主義とナショナリズムが一つにまとめられていて、リベラルはそれに対するカウンターという扱いになってしまっては、リベラルの意味がぼやけていそうで気味が悪い。

政治思想史に無知すぎるのが悪いのだし、是々非々で個別の問題の妥当性を追求することを心がけてレッテル貼りはとりあえずおいとけという話になるとそうかもしれんが。

Tags: ほげ
本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
30歳女性会社員 (2005.04.12 00:27)

ポリティカル・コンパス、私もやってみたらこんなふうに<br>なりました。なっとくしました。<br><br>>政治的な右・左度(保守・リベラル度) -3.75 <br>>経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) 1.82 <br>>あなたの分類はリベラル右派(リバタリアン)です。<br><br>お書きになっているように「保守主義、全体主義、愛国」VS<br>「リベラル」という図式はあまりに乱暴ですよね。<br>私自身はずっと自分をサヨクだと思っていましたが、米国駐在<br>の上司に「左というより、アクティビスト系でしょ。こっち<br>には、わりによくいます」と言われて、へえ、と思いました。

豚頭 (2005.04.12 01:01)

アクティビスト。そこでも分類するのかー。なるほどなるほど。<br>俺は保守系自由主義者だと思ってたんすよ。でもいま一つ指標的な収まりが悪くてなんだなーと。<br>近年読んだジョージ・オーウェルや清沢洌は愛国的リベラリストてな感じで、これを収めるのに四苦八苦。隊長の保守主義も一風変わってる。学がないんでモウエエワ(ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻--┻と言いたいとこだが、ちまちまやるしかないか。<br>傾向をつかむためだけのコンパスにムキになってもしかたないですよね、と書き散らしたまま、それではまたまた。

[]