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2008.09.28

+ あと一世代は同様の主張に基づく騒動が繰り返されることに耐えなければならないのではないか

中山国交相の日教組批判は、失言ではなく主張であるとの形で幕引きされた点のみがよかった。金融不安が騒がれているこのとき、新任の国交相がわざわざ言うべきことかとの疑問を打ち消すほどではないけれども。問題提起か暴発かと考えると、言う必然性が本人の心境以外に見つからないという点で暴発だろう。そして暴発する形の言論は、たいていの場合、成すところがない。

第二次大戦後の日本でタブーとされたことの問題とは、それらがタブーとして扱われていることであり、団塊以上の世代である種の主張を持つ人々にはいまだ抑圧された記憶として根強く残っているように感じている。会話の端々から窺える実感レベルの話として。第二次大戦以前は、逆の形で息苦しかったのではなかろうか、と想像しているが、いずれにせよ、蓄積された恨みつらみによって過剰に振れるのが面倒を引き起こす。経済的には悲惨でも、自由な時代として平成の二十年間を捉えている人間としては、まさに面倒以外に感じられないのだが、自由なつもりで案外違った形で新たな種を育てている可能性に気づかないところが落とし穴かもしれない。

少なくともあと一世代、二十年強は、同様の主張に基づく騒動が繰り返されることに耐えなければならないのではないかと思っている。

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