2009.09.14
+ 丹羽宇一郎の徴農制初めて読んだ
今日の日経朝刊にインタビュー載ってた。
読んでみると、若者はじめ農業への参入を容易にしろ、農地集約による大規模化を進めろといった趣旨で、そこは理解できる。若者に農業やらせろ、というのは、人材流入のきっかけを増やしたいのだと好意的に解釈でき……ねーわ。と思う理由は冒頭のここにある。
――若者に就農を義務づける「徴農制」の導入を主張されているそうですね。
「大学生が農繁期に農家を手助けする制度を提唱しています。国費を投じている国立大で、農学部に限らず農業を単位制にするのです。自然の中で農作物を作る喜びは、体験しなければ分かりません。広い畑でトラクターを走らせてごらんなさい。気持ちいいし、カッコいいですよ」
[日本経済新聞 2009年9月14日朝刊より引用]
国立大の(おそらく一学年分すべての)学生を農繁期に投入するような労働集約は大規模農業には不必要である。機械化を進めた大規模農家では人手がいらない(そのように近代化するのだから)。一方、労働集約農業では、労働集約といえども(むしろ個人に経験知を要求する産業の特徴から)素人を投入するときは教育しなければならない。規模からいって教育コストは末端農家が負担することになるのではないか。
国家の徴用による効果をまったく疑っていない人間が、経済人として世に知れているのが日本の現実である。若者と農業の接点を増やしたいのなら、下放のような全体主義じみた主張を行う前に、まずは伊藤忠が学生バイトのバイト代を補助する形で農家と提携するところから始めればいいだろう。丹羽宇一郎といえば、「10年は泥のように働け」でおなじみ10年泥の元ネタの人だけれど、あれは組織文化の効用を前提とした徒弟修業を賛美したものであった。経過時間がそのまま個人の成長につながるような恵まれた組織では一面の真実があるのかもしれないが、人間が多様であるように、組織の在り方も多様である。組織と個人の関わりを考えるとき、真っ先に注意すべきは組織による個人の権利の侵害である。組織による負の側面に触れず(気づこうともせず)、語られる国家レベルの施策なんてものを俺は認めない。
ちなみに、丹羽って次のようなことも語っていたらしい。
丹羽 日本は資源が少ない、人と技術で勝ち抜く、という手法で進んでいかなけれなりません。ということは大学では、教育と研究に注力して世界に勝ち抜いていかなければなりません。「最高学府といわれているところにはバカばかりいる」という人もいます。戦前とは大学の質が違います。同年代の青年のうちせいぜい4〜5%しか大学教育を受けませんでした。今は半数です。大学に国がかけている教育費もGDPの0.5%、欧米の半分です。教育費全体でも国の予算の日本は13%、欧米は20%以上、学生の6%がまともで、40%はバカだといわれています。読み書きそろばんができる学生を出せと叫びたいところです。日本全体を見ると高等教育は崩壊寸前です。
[トークセッション「日本の教育を考える」より引用]
小学校じゃあるまいし体験農業なんかに単位回す余裕ないんじゃなかろうか、大学教育は。

それって何の援農隊なんでしょうか?<br>それともイスラエルにおけるキブツみたいなヤツ?<br><br>ちなみに援農隊ならググれば与那国島のサトウキビ刈りや<br>石川県や長野県の学生によるボランティアとしての<br>ものなどいろいろ出て来ますよ。
丹羽が言っているのはすなわち徴用であって、有志の活動である援農隊とはまったく異なります(単位取得が選択制なら、少しニュアンスは変わりますが)<br>ボランティアとは別に、農業への人材流入を経済システムに組み込むようインセンティブを与えることを検討するのが経済人、企業人としての筋でしょう<br>ボランティアでも経済システムでもなく、国家による制度に飛びついてしまう丹羽の在り方に疑問があるということです(国家だから悪という意味ではありません)