アンゴル=モアでSTABO索具

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2009.11.10

+ 格差解消のため私立にも国が補助して授業料無料にしろと高校生が集会だかなんだかやったという話

2ちゃんねるまとめやはてぶちょっと眺めてスルーしてたら、もやもやが残っていたので書いてみる。その件を追っているわけではないので、きっかけに書いてみるという程度。

私学とは、建学の精神なり、教育理念なりから期待する教育を求めて行くものだ。画一的にならざるをえない公立校とは違って、そういった私学の教育に見合うと思うからこそ割高な金を払うのではないのか。

したがって、公立校の学費無料化が行われて、もし相対的に差を問題視するなら、私学に通う生徒本人、あるいは子弟を通わせている父兄は、国に対してではなく私学に対して、公立校との広がった差額分に見合う教育をさらに提供しろと問うのが筋だ。もし国に対する要求が出るとするならば、それは理念を破壊しかねないほどの不当廉売に耐えきれない私学関係者が(恥を忍んで)行うものではないのか。

実際には、偏差値ヒエラルキーの隙間を埋めるように私学が存在していて、単に選択肢の一つとしてしか見えないのだろう。それに私学助成との兼ね合いを見るに、私学の精神自体が形骸化してると冷たい目で見る人間もいるかもしれない。

でも教育って、自分が何をどのように学ぶか、あるいは子弟に何をどのように学ばせるかを、自分の持つリソースを睨みつつ自分の裁量で選ぶ、パーソナルな営みなんじゃないのかな。だから、私学を選択肢の一つとしか見なさない「勉強もせずに公立行けなかったのが悪い」との非難は論外としても、「無料で国が一律に教育を提供すべき」との方向の意見は、私学の公立化を進展させることで、そのパーソナルな部分を毀損してしまうことにつながるように感じる。公立だとすべてパーソナルな意味合いがないというのではなく、パーソナルな部分を具現化しているのが私学であり、そこを揺るがしてしまうのではとの意味で。とすると、俺の疑問は、私学助成の問題に近いようにも思う。

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